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新しい科学技術・学術行政体制に望む


−学術研究の高度な発展を支える研究基盤の強化のために−



松尾研究会報

Vol.10 2001



財団法人 松尾学術振興財団




序にかえて

 当財団の活動も14年目を迎えますが、おかげさまで、今なお続く歴史的な超低金利状況の中にもかかわらず、創設以来の助成プログラムである「原子物理学及び量子エレクトロニクスの基礎分野に対する研究助成」「優れた若手弦楽四重奏団の育成を目的とする音楽助成」ならびに財団設立満10周年を記念して創設の「松尾学術賞」の贈呈などの諸事業は着実に実施することができ、期待と信頼を寄せられるまでに至りました。これは、ひとえに関係各位のご指導とご支援によるものと、心からありがたく存じております。

 これらと平行して当財団が実施しております重要な柱に調査研究事業があります。この活動は、基礎的研究の活性化に資するための政策的提言を目指して平成2年度よりはじめたものであり、他の財団には類を見ない独自のプログラムであります。毎年、新規にテ−マを設定して松尾研究会を組織していますが、その特徴は、何よりも、自由な立場で議論を行い、思い切った提言をしていただくことに基本姿勢をおいて運営がなされていることであります。その成果は、機関誌である「松尾研究会報」に発表し、関係各方面にご活用をいただいているところであります。

 平成13年度は、21世紀への変わり目でもあり、我が国の科学技術行政体制が行政改革により抜本的に再編されるとともに、国立大学法人化への制度設計が進展し、しかも第2期科学技術基本計画がスタ−トするという、様々な意味で大きな転換の時期に当たることを踏まえ、本年度の調査研究においては、「新しい科学技術・学術行政体制に望む」というテ−マを取り上げ、松尾研究会「座長:菅野晴夫・(財)癌研究会癌研究所名誉所長」を組織することにしました。

 また、本年度の松尾研究会報は、創刊から数えてちょうど10巻目という節目を迎えます。今回のテ−マは、それを飾るのにもふさわしい内容のものであり、これからの科学技術政策の発展方向について問題提起をし、広く考えていただく基礎になるものになればと願い、積極的な論議を尽くしていただくことにした次第であります。

 ご案内のように、平成13年1月の中央省庁再編により、これまで学術行政と科学技術行政を担当してきた文部省と科学技術庁とが統合して「文部科学省」が発足し、同時に、「総合科学技術会議」が内閣府に設置されたことで、内閣総理大臣のリ−ダ−シップの下に大学を含めた科学技術政策の戦略的施策が強力に推進できる体制として大きな期待が持たれています。しかしながら、「学術」と「科学技術」の両者の行政の目的・性格や振興策の発想の仕方の相違からくる科学技術政策面での文化的摩擦が生じる懸念が全くないとはいえません。

 特に、今回の総合科学技術会議を頂点とする科学技術政策策定機構の多重化構造においては、ともすれば、重要政策の方向が経済的効率性に置かれ、その立案・評価のプロセスの中で、学術研究自体の振興よりも、政策的な課題に対応した研究開発に傾斜すぎる傾向は否定できず、すでにそれが顕在化する兆候も見られます。過去の歴史の例からも、革新的技術の源となる可能性の大きな基礎的学問領域は多様であり、そのインパクトは目的研究より遥かに根源的であり、その影響が広範にわたることが多いことは明らかであります。

 当財団は、急激に変動する時代の推移の中での諸要請に応えるのに、学術研究固有の不易なものに目を据えつつ、省庁統合を生かした科学技術施策と学術施策との調和ある発展及び国立大学の改革と活性化を基礎とする法人化の推進という制度的課題に取組まなければならないとの観点に立って、現在における問題的状況の分析と今後の向うべき望ましい方向について、多角的で自由闊達なご論議をいただきました。また、20世紀の科学技術の直線的な発展が、様々な副作用を惹起してきた現実を直視し、人文・社会科学分野の科学技術政策への関与の在り方も大切であると考え、関係者のご参加を特別にお願いいたしました。

 なお、平成14年度政府予算案編成作業の状況に照らして早期に対応することが求められる幾つかの課題については、結論の得られた審議概要を取りまとめ、要望書として内閣府政策統括官(科学技術担当)及び文部科学省研究3局長あてに提出いたしました。

 本報告書に示された新科学技術・学術行政体制の発展展開への政策的提言は、学術研究の健全かつ高度な発展を支えるための基盤強化への重要な示唆を与えるものであると考えております。その意義と趣旨とを十分にお汲み取りいただき、これからの科学技術政策の新しい展開とそれを実行に移す施策に少しでもお役に立てていただければと念願しております。

 最後に、本研究会の審議にご参加いただき、積極的にご発言いただいた委員と特別出席者をはじめ、調査研究に多大のご尽力・ご協力を賜った諸先生に対し、深く感謝し、厚く御礼を申し上げます。

 平成14年3月

                        (財)松尾学術振興財団    

                        理事長  宅 間  宏 




まえがき

 平成13年1月、中央省庁再編により、国の科学技術政策の司令塔としての「総合科学技術会議」が「文部科学省」とともに発足し、21世紀へ向けての大きな時代の流れに沿った新しい科学技術・学術行政体制として、それに寄せる期待は大きい。

 それから1年有余が経過し、ようやく第2期科学技術基本計画に基づく新しい時代の科学技術戦略への本格的な取組みがはじまった。総合科学技術会議が取りまとめた「平成14年度の科学技術に関する予算・人材等の資源配分の方針」においては、基礎科学の振興をめぐって不協和音が生じるなど、その前途はなお厳しいものがあるといえる。

 今、国が直面するこれまでにない長期的な厳しい経済不況の中で、将来の国力の強化につながる新たな科学技術の展開が求められている。このため、持てる研究開発力を効果的に動員して政策的に推進する重点領域に対しては、予算を重点的に配分する姿勢が打ち出されているが、そのための競争的研究資金は激増する一方において、研究者の需給見通しはほとんど考慮されておらず、ポストドクタ−研究者制度も残念ながら単なる「延命措置」に止まっている。何よりも、科学技術政策の中において、学術振興方策の基本的考え方が明示されていない状況は、「科学技術創造立国」のイメ−ジとは程遠いものといわざるを得ない。

 とかく、構造改革といえば、合理性が優先し、「節約型」の政策的な目的志向研究に突進し、有用性を直接目的としない、研究者の自由な創意に根ざす学術研究は「消費型」と見做されがちであり、それでは「創造性の育成」どころではない。科学技術システム改革の考え方のうち、最も重視されなければならないのは、研究者の個性重視の原則である。

 それを基本にして、将来の発展のために大切なことは、すべての学問分野を調和の取れた形で発展させ、次代を担う優れた研究者を育成することである。「学術」が、かっての文部省設置法に「人文科学及び自然科学、並びにそれらの応用の研究」と定義され、教育と人材養成と表裏する関係に立って、大学やこれと一体的な大学共同利用機関を中心に推進されてきたのも、学問の自由という理念の下に研究者の自由闊達な発想を源泉として展開されることにより、最も優れた研究成果が期待できるからである。そうした基盤の上に、多彩な科学技術も発展し、文化・文明の花も開くのである。

 しかしながら、実際は、構造改革の方針を受けて、競争的な研究環境の構築と研究資金の重点投資という国の科学技術政策が強調されるあまり、多彩な着想を豊かに培い、発展させ得るような基盤的研究資金が等閑にされる傾向が加速し、その充実の必要性を口にすれば、それこそ素っ気ない反応が返ってくるような風潮の見られるのは残念なことである。競争的研究資金は研究の活性化に一時的に役立っても、このために、大学の教育研究に副作用が生じ、多くの先生が元気をなくしてしまうようになれば、悔いを百年に残すことになるであろう。

 本研究会では、こうした基本的認識に立って、「改革と活性化を両立させる科学技術政策」をキ−ワ−ドに、毎回、参加の諸先生から、きわめて示唆に富んだご意見やご見解をいただいた。

 この報告書は、主として、学術研究の高度な発展と国立大学法人化に当たっての研究基盤の強化のための9つの政策的提言を取りまとめたものである。中でも、自然科学と人文・社会科学との連携や産学間における成熟した関係の促進などは、新しい世紀を開くに当たって、いささかでも軽視してはならない課題であり、共感をもって事を進めることの必要性についても論じている。

 学術振興は、一朝一夕でできるものではない。このたびの提言は、未熟な点もあろうが、これを踏み台にして、学術・科学技術政策関係の責任者や大学人、その他の関係各位が一層の討議を重ねられ、我が国の科学技術政策と学術振興施策の発展的展開に役立てていただくとともに、その実現について政府の決意と努力を心から期待するものである。

 最後に、本調査研究に常時ご出席をいただき適切なご指導を賜った松尾学術振興財団の理事長・宅間 宏先生をはじめ、本研究会の議事整理、報告書の取りまとめにご尽力くださった財団の方々、特に、飯田益雄常務理事に対して深く感謝を申し上げるとともに、研究会で優れたご意見を積極的にご発言をいただいた委員の先生方や調査研究協力者の方並びに人文・社会科学の重要性、特に哲学の重視について貴重なご見解を述べられた特別出席者の方にも心からの御礼を申し上げる次第である。

 平成14年3月

                     松尾研究会座長       

                     (財)癌研究会癌研究所    

                     名誉所長  菅野 晴夫 



目   次

学術研究の高度な発展のための9提言

第1章 科学技術・学術政策をめぐる基本的課題

 1.科学技術・学術政策の現状と問題点

  (1) 科学技術・学術行政体制の変化

  (2) 科学技術政策に見る問題的状況
    見失いがちな学術研究の健全な発展への視点
    高度なテクノロジ−の発想はあってもフィロソフィ−がない

 2.科学技術政策を立てる基本的視点

  (1) 学術研究は一つの投機的企業である

  (2) 政策的提言の基本的考え方
    科学技術振興の基本的な枠組み
    学術振興の基本的在り方
    人文・社会科学分野の振興
    国立大学法人化には文化的・社会的基盤の保障を

  (3) 第2期基本計画における基礎研究と学術研究の関係

第2章 学術振興の在り方への政策的提言

 1.学術振興の普遍的性格と施策の基本的視点

  (1) 学術振興の基本的方向
    学術研究の基本的特質
    学術振興は一朝一夕ではできない
    研究体系の統合化の促進

  (2) 人文・社会科学の振興
    科学技術の人類的・社会的課題
    人文・社会科学からの積極的な発信に期待

 2.学術研究の総合的展開を保障する研究基盤の整備

  (1) 学術研究の総合的推進のための基本的枠組みの確保
    学術振興における研究資金の基本的構図
    多元化する競争的研究資金の在り方
    基盤的研究資金と間接経費との関連

  (2) 大学共同利用機関のプロジェクト型共同研究の重視
    大学共同利用機関の共同研究機能
    共同研究経費は、国際的競争力を保持するための基礎的研究費

  (3) 政策的プロジェクト研究の効果的推進
    重点的推進のためのプログラムの策定
    政策的重要分野の推進戦略基盤の整備

  (4) 高度な生物遺伝資源システムの創設
    生物遺伝資源の体系的・戦略的な確保・活用
    国の知的資産としての生物遺伝資源
    研究支援業務の地位の向上と独立性

  (5) 学術研究情報発信基盤の整備
    電子ジャ−ナル化・オンライン化の研究開発状況
    学術研究情報の発信基盤整備の基本的考え方
 3.成熟した産学連携推進基盤の構築
    産学連携政策の一般的状況と改革の動き
    成熟した連携関係を築くための基本的課題
    今後の技術移転への視点と方策
    ベンチャ−起業の観点から

第3章 国立大学等の改革と活性化のための提言

 改革と活性化を基礎とする国立大学法人化の推進

  (1) 教育基盤の充実強化
    学部段階における問題的状況と課題
    大学院の充実と改革
    若い頭脳を生かせる環境の整備
    ベンチャ−起業には夢と志を持って

  (2) 国立大学法人化には文化的・社会的基盤の保障を
    「運営交付金」の算出に関する視点
    多元的な資金の円滑な導入を進め得る基盤の整備

あとがき

松尾研究会委員名簿




新しい科学技術・学術行政体制に望む学術研究の高度な発展のための9提言


提言1 学術振興の基本的方向

 革新的な学問分野の創造や未来を開く科学技術におけるイノベ−ションの創出は、学術研究の活性化と個性化にかかっている。このため、学術研究の内在性と研究者の自律性を基礎に、常に最前線の雰囲気を保持するとともに、多彩な発想を豊かに育て、多様に発揮できるような研究環境を整備し、より特徴的な学術研究の発展を目指す。特に、若手研究者の研究支援体制の強化を図る。

提言2 人文・社会科学の振興

 科学技術の史的展開が招来した自然環境の破壊など、さまざまな当面する基本的な諸課題に対処する方法論さえ不十分な現状に対応し、人間・社会の価値評価とその発展を目標とする人文・社会科学の積極的な振興を図り、自然科学系諸科学との交流・連携を推進することで、人類の生存と調和のとれた現代文明への論理転換を促すための研究体制を整備する。

提言3 学術研究の総合的推進のための基本的枠組みの確保

 学術研究の推進に当たっては、その基本的な特質に即し、視点を将来において、広範な学問分野にわたる基盤的研究の維持・発展と優れた研究の選択的・重点的推進との調和ある発展を図る研究環境を確保することが基本である。これらの研究条件を保障する現行の研究資金配分の基本的枠組みは、将来とも維持する。

提言4 大学共同利用機関のプロジェクト型共同研究の重視

 大学共同利用機関は、それぞれの分野における我が国の中核的研究組織であるのみならず、国際的にも重要な研究拠点である。同機関の「プロジェクト型共同研究」は、将来の学問の発展を見据えながら、全国的・専門的な見地から競争的に徹底した論議をして立案され、審査により採択されるものであることに鑑み、そのための経費は、基盤的研究費といえども、「競争的研究資金」の性格を有するものであり、その保障と格段の拡充を図る。

提言5 政策的プロジェクト研究の効果的推進

 基本計画に定める「国家的・社会的課題に対応した研究開発の重点化」の戦略的推進のためには、総合科学技術会議が当該分野・領域における政策目標と推進すべき基本的事項に係る基本的なスキ−ムを明確にし、その目標を達成するために必要なプロジェクト研究計画は、研究者からのプロポ−ザルに基づく研究計画をも動員して効果的に組織し、実施体制を整備する。

提言6 高度な生物遺伝資源システムの創設

 生命科学研究に必要不可欠な素材である生物遺伝資源をめぐる国際的環境がますます厳しさを増す状況下にあって、日本独自の生物遺伝資源の確保を目指すとともに、研究支援業務に従事する職員にインセンティブを与えるような体系を整備する観点から、高度な生物遺伝資源支援システムを創設する。

提言7 学術研究情報発信基盤の整備

 学術研究情報の電子ジャ−ナル化及びweb公開システム化を推進するために、将来、欧米に並ぶ3極形成を目標に、国家的視点に立ち、ジョイント・ベンチャ−・ビジネスを育成する方向で体制を整備する。その運営に当たっては、学協会との連携を密にし、すでに独自の取組みをしている学協会やその連合体に対しては公的支援ができるような制度を導入する。

提言8 成熟した産学連携推進基盤の構築

 産学連携の機能を高めるために、最も価値の高い独創技術を生み出す源である学術研究を活性化し、それを継承発展させる人材の養成を図ることが大学の社会貢献への基本的な条件であるとの認識に立ち、大学と民間企業とがそれぞれの立場からお互いに共感をもって社会的要請への先導的対応に協力し合う成熟した関係に進展させる新しい制度的な枠組みを整備する。

提言9 改革と活性化を基礎とする国立大学法人化の推進

  国立大学の法人化に当たっては、改革と活性化の両立を基本に、教育・研究の質的水準の向上と社会との連携強化を図ることができる組織・運営体制を確立する。同時に、自主的な財政的基盤を確保するために、公財政支出の一層の充実と相俟って、多元的な資金の円滑な導入が可能となるような文化的・社会的基盤を整備充実する。


第 I 章  科学技術・学術政策をめぐる基本的課題


1.科学技術・学術政策の現状と問題点

(1) 科学技術・学術行政体制の変化

 我が国において、今日ほど、科学技術に対する期待の高まりと科学技術政策の重要性が認識され、注目されているときはない。平成13年1月6日、中央省庁再編により、内閣府に科学技術政策の司令塔としての「総合科学技術会議」の新設とともに、「文部科学省」が発足し、21世紀への新たな節目の時期に、国の科学技術・学術行政体制が一新された。特に、これまで、異なる省庁が担当してきた「学術行政」(旧文部省)と「科学技術行政」(旧科学技術庁)とが、高等教育行政、文化行政などとともに、総合的に取り扱われることになった意義はきわめて大きい。

 この新体制に機を合わせたように、同年3年30日、科学技術振興の国の基本方策を定めた「第2期科学技術基本計画」(以下「第2期基本計画」という。)が閣議決定され、今後は、総合科学技術会議の議により策定される基本計画の推進のための総合的戦略を踏まえ、各府省において具体的な科学技術政策が推進されることになる。

 この一連の体制改革の波の中では、社会的・経済的要請に貢献し得る質の高い科学技術の展開を図っていく傾向が強まり、基本計画においては、科学技術予算の拡大を図りつつ、より柔軟で競争的な研究開発環境の実現を目指し、資源配分を重点化する新しい制度的な枠組みが整備されたが、これに対応して研究現場の組織改革も進められた。

 すなわち、大半の国立試験研究機関の独立行政法人化が実施されたが、その改革の波は国立大学及び大学共同利用機関(以下「大学等」という。)の世界をも直撃し、平成14年3年26日、「国立大学法人」制度を検討してきた文部科学省の調査検討会議(主査:長尾眞・京都大学学長)の最終報告が文部科学大臣に提出された。この大学構造改革では、各大学の責任で能力・業績に応じた人事制度や組織運営などを行なう、自律的な運営の確保が大きな柱であるが、「国立大学の再編・統合」「民間的経営手法の導入」「21世紀のCOEプログラム」などの大胆な計画が中心的な課題となっている。

(2) 科学技術政策に見る問題的状況

 見失いがちな学術研究の健全な発展への視点

(総合科学技術会議の動向)

 この行政改革においては、内閣総理大臣のリ−ダ−シップが機能し、「科学技術」と「学術」とが両輪になって、幅広く総合的・体系的に捉えた政策が強力に推進されるものとして、大きな期待が持たれている。第2期基本計画においては、「科学技術の戦略的重点化」として、「基礎研究の推進」と「国家的・社会的課題に対応した研究開発の重点化」が、いわば二本柱として位置付けられ、それぞれを進めることとされている。

 科学技術政策の姿勢は、国の予算で端的に示されるが、政府予算案の編成に対して意見を述べる立場の総合科学技術会議が示した「平成14年度の科学技術に関する予算、人材等の資源配分方針」では、未来を開く経済社会開発のために、国の持てる研究開発力を効果的に生かそうとする意欲が明確に読み取れるものの、基礎研究の積極的な充実方策については、ほとんど言及がなされていないばかりか、削減の方向性さえうかがえるものになっていることは、第2期基本計画による国家的な目標と科学技術政策との関連づけが十分になされているとは考えにくく、学術研究の健全な発展を歪みかねない。昨年7月、大学共同利用機関の所長有志が「わが国の最近の科学技術政策について−基礎的科学研究の推進の必要性」について、異例の要望書を内閣総理大臣に宛てに提出したのも、総合科学技術会議の認識に対する危機感の現れであるといえる。

(政策的な重点投資の波紋)

 もとより、社会的・経済的効果を期待して、政策的な推進分野に対して重点的投資を行なうことの必要性については論じるまでもないが、それだけに目を向けることで、重点分野から外れた基礎的な研究分野を孤立させるようなことがあってはならない。現実に、政策的な重点分野にあまりにもシフトしてしまい、競争的研究資金が過度に集中し、中には同じ研究者が研究費の重複配分を受けるなど、不必要な肥大化構造のバブル的波紋が見られる。その一方で、その裾野を形成するその他の研究分野の痩小化を結果として招き、随分とそれらの分野の発展が歪められていることも否定はできない。

 例えば、分子生物学への重点化配分が一種の流行現象を生み、プロパ−の生物学や基礎医学あるいは農学という地味な分野が積み残されがちになり、多数のポストドクタ−研究者が存在しながら、若手人材の配置にさえ格差が生ずるなどの問題が顕在化している。基礎と応用が融合しやすく、相互依存的・相互発展的な関係にある生物科学全体に傾斜構造化が助長されかねず、十分な留意が払われるべきである。

 すなわち、未来に進むに当たり、どのような研究がどのような事実と結びつき、それがどうのような新しい研究領域の開拓や技術革新につながるのかは、誰にも予想のつかないことである。そのためには、ひたすら人材養成と密接な連携を図り、多彩な発想を育成しつつ、基礎的な諸分野を開拓しておくことが必要となるのである。その結果として、予想をくつがえすようなブレ−クスル−の多くが、自由な拘束されない発想の中から生まれ、あるいは、思いがけない分野が思いがけない分野との間の連携により実現されるのである。学術研究にこうした可能性がはらまれていることは、過去の歴史に照らしても明らかである。学術研究の振興は、国の将来にとって本質的に重要である。

 その最も典型的な事例は、スタンフォ−ド大学のコ−エン博士、カリフォルニア大学のボイヤ−博士の遺伝子組替え技術である。当時は、あまりにも純粋基礎科学分野に属する研究成果であり、果たして特許を取得しても何の役に立ち利益を上げ得るのかと疑問視され、一時申請は見送られた経緯があったといわれるが、結果的には、それによる特許収入は2,500万ドルに上り、大学を潤したのは有名な話である。

 高度なテクノロジ−の発想はあってもフィロソフィ−の発想がない

 他方、20世紀における学術研究の展開で目立つのは、自然科学の進展の速度が急激で、高水準であったことと、合目的な「人工物」という強力な技術を生み出したことである。この画期的な成果は、いうまでもなく、高い人類文明を築き、生活の改善・向上をもたらした反面、さまざまな形で、人類の生存条件を脅かすような副作用を地球的な規模で次々に提起してきている。さらには、こうした高度化社会にいやおうなしに組み込まれた人間の心や倫理の世界にも、深刻な問題が現れてきていることである。

 今日のこうした閉塞状況は、これまで科学と技術の緊密化により、直線的に独自の発展を遂げてきた科学技術の進化の歩みに、高度なテクノロジ−の発想はあっても、価値評価の根幹となるフィロソフィ−の発想が全くといってよいほど作動してこなかったことに、その要因が求められよう。

 このさまざまな矛盾や問題の修復には、科学技術に新しい側面での余程の大きな基礎的進歩がないと解決されるものではないが、今、科学技術政策の推進に当たって、科学技術の重点化・計画化と並んで、科学技術の自然機能、社会機能に対する新たな省察と科学者の社会的責任の自覚が求められていることは否めない。このためには、人文・社会科学の視点を強くここに反映させ、現代文明の論理文脈の転換を図ることが必要である。我が国では、自然科学の優位性に比較して人文・社会科学の分野は脆弱化しており、統合的で、先導的な科学技術政策を目指す上からも、人文・社会科学の育成強化は、科学技術との関連において、真剣に立ち向かうべき重要な課題である。

2.科学技術政策を立てる基本的視点

(1) 学術研究は一つの投機的企業である

 科学技術の史的展開には、二つの型があるといわれる。その一つが、政策的な目的志向により計画的に行なう「節約型」であり、もう一つが思考が赴くまま研究者の自由な発想により展開される「消費型」である。我が国の科学技術政策は、大局的な流れから見れば、「節約型」に傾斜して進められ、「消費型」はそれこそ不急の問題としてみられがちであった。最近では、行政改革の波が「消費型」の学術の世界を直撃し、目的志向研究へ突進しようとしているが、これでは創造性の騒ぎどころではない。

 すなわち、知的創造力は、「消費型」がもたらす多様的な思考にかかっているからである。我が国では、とかく論理に重点がおかれがちであるが、学術研究には論理で割り切れないものがあり、偶発性や直感力が創造性の発現につながる例も多い。しかし、その根源は知的好奇心であり、さまざまな試行錯誤による思考と知見の蓄積という、深い根が備わっていればこそ生まれるものである。

 そうした意味では、学術研究は、短期的経済効果や短兵急な成果だけに焦点を当てるものであってはならない。「急がば回れ」の言葉のごとく、目的の方向に直進するよりも、回り道した方が画期的で有効な答えが得られることも多いのである。そのような自由な創意を育てるのにふさわしい研究環境を整備する処方箋が学術政策には求められる。

 しかしながら、ややもすれば、学術研究は、自由の名のもとに研究者の気ままな消費活動と解され、その重要性に対する認識や期待感は、国民的なスケ−ルで共有されているとはとても言い難い状況である。その責任の一端は、社会のさまざまな面における構造的変革の流れの中で、大学が自治能力を発揮して時代の要請に応える改革への取組みに出遅れがあったこともさりながら、何よりも科学者自身の改革意識の希薄さと社会的責任への自覚の不足の存在が挙げられよう。自由な発想による研究といえども、研究者は、進展する研究動向を的確に把握しながら、何を明らかにすべきか、そのために何を研究すべきかという明確な目的意識をもって取り組むよう、より一層自覚することが必要である。

 「科学は一つの投機的企業」であるというハ−バ−ド大学のコナント学長の言葉があるが、この間の事情を道破したものであるといえよう。科学は一般の企業と異なる特性を持った投機である。失敗といえども、それが完全に無意味に帰するものでなく、次の段階への貴重な布石となる点で、高い意義を持つ投機であるということである。

(2) 政策的提言の基本的考え方

 これらの学術研究をめぐる問題的状況は、今後の我が国の学術研究が、大きく飛躍するか、下降線を辿るのか、その分岐的に立っていることを示すものである。松尾研究会では、この現状認識に立って、科学技術政策が、学術研究の自己発展的な展開を可能にするよう、より積極的な機能を果たすことを強く願い、学術研究固有で、不易のものへの考察を踏まえながら、学術研究の高度な発展の基礎を支える基本的な方策を提言することを基本方針とした。

 松尾研究会での論議内容(「付属資料:主な論点の整理」参照)は、多岐にわたったが、それらを集約するに当たっては、特に、次のような考え方を基本とし、今後の科学技術・学術行政体制が向うべき望ましい基本的方向についての取りまとめを行なったものである。

 科学技術振興の基本的な枠組み

 科学技術振興は、その動機から見て、「科学技術それ自体を目的とする、人間の本性そのものに由来する知的創造活動(学術)の振興」と「何らかの実用的な目的を達成するための手段としての科学技術(技術)の振興」との二つに大別することができる。

 今日における科学技術に対する期待感の高まりとそれに伴う国の科学技術政策の重要性の増大は、後者の動機による科学技術振興に起因するものであるが、科学技術文明の展開が両者を別個に論じがたいものにしていることを考えれば、両者を統合的・体系的に捉えた科学技術政策が進められることが必要である。

 学術振興の基本的在り方

 学術研究は、未知なる分野に足を踏み入れ、真理を追求し、学問体系の確立、知識の拡大・蓄積をする知的創造機能であり、知的冒険を繰り返しながら、模索して進むという特殊な性格を有していることに最大の特徴がある。その成果は、国家社会のすべての分野の発展の基盤を形成し、それ自体固有の文化的・社会的価値を有するとともに、それを担う人材養成と一体的な関係に立つものであることから、学術振興は国の盛衰にかかわる重要な問題である。

 その振興方策を講ずるに当たっては、上記のような学術研究の特性に十分に配慮し、長期的かつグロ−バルな観点に立ち、学問の全分野にわたって、基礎的研究基盤の整備と重点的推進との調和ある発展を図ることを基本とし、さらに今日の国家的・社会的な要請にも適切に対応できる仕組みの整備を図る必要がある。

 人文・社会科学分野の振興

 今世紀における急激な学術(科学)研究の成果と技術との融合とにより、さまざまな矛盾や問題が生じ、今日、文明論的な意味での科学技術の在り方に変容が迫られていることにかんがみ、科学(因果論)と技術(合目的論)が持つ本質的な性格の相違を正しく理解し、現代文明の論理文脈の転換を図ることが必要である。その基礎として、従来、自然科学に比べて不十分な研究体制のままに放置されている人文・社会科学を根本的に振興する。

 国立大学法人化には文化的・社会的基盤の保障を

 国立大学は、現実的に見る限り、我が国の学術研究の発展に果たしてきた役割はきわめて大きく、学問研究の自由と深い係わりを持ってきた史的推移を考慮し、行財政改革から始まった独立行政法人への移行に当たっては、大学の役割と機能を高度に、かつ、国際的視野で適切に発揮できるよう、学術振興にかかわる施策を積極的に推進する。その際、大学をめぐる文化的・社会的基盤(例えば、寄付税制、特許取得支援等)を見直し、これに対する新しい制度的枠組みを工夫することが必要である。なお、国立大学法人化への重要な柱としての「21世紀のCOEプログラム」とも関連し、今、大学院重点化の流れの中で、最も憂えるべき現状は、学部段階の教育がないがしろにされていることである。このことにも深甚な注意を払わなければならない。

(3) 第2期基本計画における基礎研究と学術研究との関係

(研究体系分類の基礎的コンセプト)

 科学技術政策は、国の責任において行なわれる諸施策の体系であり、従来から、直接的な応用成果を求めない「学術」と有用性を直接的な目的として行なわれる「科学技術」との二つに大別され、両者が相補的な関係に立って推進されてきた。最近では、科学技術政策の新展開により、研究の体系的な思考のためのカテゴリ−は、一つの物差しで概念化できないほどに多重構造化してきている。

 これまでの研究カテゴリ−は、「知識の創造」「知識の応用・実用」の対比から、「基礎研究」「応用研究」「開発研究」という分類(政府の「科学技術研究調査」による。)が一般的であるが、大学が歴史的にその中核的役割を担ってきた「基礎研究」は、大学以外の試験研究機関や企業でも、有用な技術上の基礎を培うために積極的に行なわれるようになった。一時は、先導的・独創的分野の開拓を目指すプロジェクト型の基礎研究にも足をかけるための政策として、「基盤的研究」や「基礎研究推進事業」という用語が登場し、流行するが、その後は、研究費配分制度上の分類に、「競争」と「基盤」という対立概念が言葉として使用されるようになる。

(研究体系の分類による論理脈絡をめぐって)

 今日、いろいろなテクニカルタ−ムが使用され、その定義や範囲が必ずしも明確でなく、混乱しているようにも思われる。テクニカルタ−ムの表現による概念を明確に持たない限り、同じ言葉を使っても、そこに込められたメッセ−ジと異なった意味合いに取られては、いろいろな問題が生じかねない。もとより、一つの文脈の流れの中で、最も辻褄が合い、訴えるのに適切な用語で表現すればよいことではあるにしても、これからは、学術と技術の本質に立ってテクニカルタ−ムとその概念についての共通した認識を持った土俵で科学技術政策を論ずることが、特に人文・社会科学の積極的な関与を促すためにも必要になろう。

 こうした動きの中で、最近は、文部科学省においては、研究カテゴリ−を「ボトムアップ型」と「トップダウン型」との二つのタイプに大別化する傾向が一般化してきている。こうした観点で考えると、科学技術政策における「基礎研究」は、「ボトムアップ型」と「トップダウン型」とからなり、研究者の自由な発想に基づく研究を基本原理とする「学術研究」は、「ポトムアップ型」の基礎研究という概念で仕切られて動いていくことが予想される。

(「学術研究」の概念の重要性)

 第2期基本計画には、「学術研究」という言葉はなく、「科学技術の戦略的重点化」の中に「基礎研究の推進」として位置付けられ、一定の資源を確保して進めることとされているが、結局は、重要政策としての研究開発を支える図式の中にのみ基礎研究が理解されるようになる。これでは、大学における幅広い知的創造活動である学術研究とこれと表裏する教育を維持するという本来の基礎的機能が害なわれるおそれがあるばかりでなく、学問の自由が強く保障されている大学の存在理念そのものにも不必要な混乱を生み出しかねない。

 したがって、本報告書においては、学術研究が「ボトムアップ型」の基礎研究であるとの概念を踏まえつつも、学術研究推進の主体である大学の持つ基本的機能を政策の基盤として展開することの重要性にかんがみ、包括的かつ総合的な概念である「学術」に基本的視点に置いて取りまとめることにしたものである。





第 II 章 学術振興の在り方への政策的提言


 第2期基本計画は、国家の最高のストラテジ−として、第1期の基本計画に比べると、発想上の転換が見られる。例えば、科学技術を社会の中に正しく位置付け、科学技術創造立国として目指すべき国の姿と基本理念、総合的な科学技術振興の基本政策が規定されるなどの視座がそれであり、その中に基礎研究の推進の必要性に触れられていることは評価される。

 しかしながら、この基本計画を的確、着実に推進する総合戦略を策定する役割を担う総合科学技術会議の「平成14年度の科学技術に関する予算、人材等の資源配分の方針」の文言に関する限りでは、基本計画に定める重点化戦略に基づく重点分野の推進に傾斜し過ぎ、基礎研究やそれを支える基盤の整備は、総じて一般的・羅列的なままで終わり、特に学術研究の基本的特質を映した具体的施策の展開への姿勢はきわめて不足したものになっていることは否めない。

 新生の総合科学技術会議が、国の政策の司令塔として、第2期基本計画をいかに実行に移すかは、これからの運営に期待されるが、以下に、[第 I 章 科学技術・学術政策をめぐる基本的課題]における考察に基づき、特に大学等の存在理由の視点で捉えて、重要で、かつ、実効性のある学術振興に関する方策を提言する。

1.学術振興の普遍的性格と施策の基本的視点

(1) 学術振興の基本的方向

提言1 

 革新的な学問分野の創造や未来を開く科学技術におけるイノベ−ションの創出は、学術研究の活性化と個性化にかかっている。このため、学術研究の内在性と研究者の自律性を基礎に、常に最前線の雰囲気を保持するとともに、多彩な発想を豊かに育て、多様に発揮できるような研究環境を整備し、より特徴的な学術研究の発展を目指す。特に、若手研究者の研究支援体制の強化を図る。

 学術研究の基本的特質

 学術研究は、人間と自然とのかかわり合う世界の統一した普遍的認識を究めるのが基本的特質である。人文・社会科学、自然科学の分野に分かれているとしても、これらは、学術研究の特質から導かれたものである。特に、人間生存の場である自然は、因果律で成立した深遠な世界であり、その科学的認識を目指しての研究過程においては、絶えず課題の提供と解決という形態をとっている。その意味で、学術研究は、その内在性に基づいて発展していくものであり、学術研究の自主性が指摘される所以も、ここにあるといえる。

 他方において、学術研究は、学問分野における知識体系の応用化・技術化という研究開発を通じて、社会的・経済的発展基盤を提供する役割をも果たしている。また、その研究開発の成果が学術研究体系に取り込まれて、さらなる発展や革新が可能となる。これらを踏まえれば、科学技術に関する研究開発も、学術研究の内的必然性と位置付けることができる。

 いずれにしても、学術研究は、元来、人文・社会科学と自然科学との調和を図り、研究実践者の自由な発想を基礎として発展させられるべきものである。

 しかしながら、研究の自主性は、無目的的研究を意味するものではない。研究課題の選択に当たっては、学術研究の内在性に基づいて明確な目的意識をもって、創造的に対応する姿勢がきわめて重要である。また、学術研究の成果に立脚して進められる研究開発においては、地球の有限性をわきまえた倫理性をもって対するのが研究者の責任であることを自覚する必要がある。

 学術振興は、一朝一夕にはできない

 学術振興の基本は、創造性の開発であり、その根源は、知的好奇心より発するオリジナルな探求心である。よく、欧米から「基礎研究ただ乗り」と指摘されるのは、学術研究体制が長いこと不十分で、独創的研究が育ちにくい環境条件に置かれてきたことが、その間の事情を反映しているといえよう。

 学術振興で最も大切なものは、人づくりである。優れた研究者は、一朝一夕には育たず、それが生まれる文化的雰囲気に依存することから、ひと作りのためには、多彩な創造性を育て、高度な研究活動が展開されるのにふさわしい研究環境を整備するための施策を強力に進めるほかに有効な手段はない。新しい独創やリスクの伴うような研究をも許容し、それに投資しようとする意欲の見られない社会では、いくら望んでも、学術研究に活力と創造性が生まれるはずはない。

 学術振興は、人類文化の創造、社会発展の広い基盤の形成のための先行投資であり、その性格からして他の投資と一線を画すべきである。なかんずく、学術研究の進歩は、若い研究者の新鮮な頭脳と溌剌たる研究意欲に負うところが大きいことにかんがみ、十分に配慮されなければならない。

 研究体系の統合化の促進

 学術研究は、常に分化と総合化とが互いに調和を求めて競争しているが、最近の進み方は総合化の流れに傾き、これからは単一の研究体系に閉じこもった思考から複眼的な思考へと転換し、諸科学を融合した新しい統合科学の開拓により、学術研究の創造性が大きく発展することが期待されている。

 特に、今後の科学技術政策においては、自然科学と人文・社会科学との相互連携を重視し、人類生存との調和のとれた進歩、自然の因果律(科学)と人工(技術)との共存といった方向を展望することが重要である。このためには、まず、「学術」「技術」「芸術」の3元的要素を統合するインタ−ディシプリナリ−な学問分野の基盤を確立する研究環境の整備を図ることが必要である。


(2) 人文・社会科学の振興

提言2 

 科学技術の史的展開が招来した自然環境の破壊など、さまざまな当面する基本的な諸課題に対処する方法論さえ不十分な現状に対応し、人間・社会の価値評価とその発展を目標とする人文・社会科学の積極的な振興を図り、自然科学系諸科学との交流・連携を推進することで、人類の生存と調和のとれた現代文明への論理転換を促すための研究体制を整備する。

 科学技術の人類的・社会的課題

 「(1) 学術振興の基本的方向」で触れたように、学術研究はそれ自体が目的であり、芸術とともに、人間の本性そのものの存在であるが、一方においては、その成果が、人類・社会の発展に貢献するために合目的に応用されるのに有益な手段でもあることから、技術との結びつきが密接となり、科学技術が独特の意味を持つようになった。近年、それに対する人類的・社会的期待感は際限なく高まり、科学(学術)と技術は互いに進歩を早め合って、結果的に基礎研究と称する分野は、技術のための基礎研究へと変質し、国の政策も科学技術でなければならないという論理が中心的潮流として形成されるに至った。

 すなわち、20世紀の科学技術の展開が、いわば「人工物」という合目的な一元的思考をたどり、その結果、自然の因果律を乱し、今日においては、その影響が人類社会の未来にさまざまな形での深刻な問題を投げかけ、その壁に学術研究自体が突き当たっているというのが現状である。およそ、ニ−ズに対応する合目的論は、輸入飼料による狂牛病の発生の事例に端的に示されているように、自然の因果論よりも上位に置かれるが、往々にして、それが意に反して引っ繰り返るものである。合目的論に対しては、いつも批判の息吹を忘れてはならない。

 人文・社会科学からの積極的な発信に期待

(人文・社会科学の振興への配慮)

 科学技術と人間社会との間に広がるギャップを埋め、長期的な人類文化の創造や社会の発展のために、幅広い基盤的知見を提供できるのは、人文・社会科学であるとの視点は、見落としてはならない。しかし、我が国の人文・社会科学は、分野等により差異があるが、自然科学との比較あるいは国際比較において相対的に遅れ、研究体制の弱体感は否定できない。現代社会の高度化・複雑化、価値観の多様化等に伴って噴出する種々の問題への対処や解決は、その基盤として人間の本性やその行動についての十分な理解がなければ、一元的な思考体系では割り切れるものではない。今日のこうした事情を勘案すれば、人文・社会科学の振興について、各分野の特性に即し、長期的な視野に立って、適切な方策を積極的・意図的に推進することが重視されなければならない。

 また、自然科学分野では、国家的・社会的ニ−ズへの対応を意識した問題解決志向型プロジェクトに焦点が当てられているが、例えば、これらプロジェクトの基本的な研究課題の設定においては、人文・社会科学研究者の積極的な関与を促し、必要に応じ、共同研究体制を推進するなどして、科学技術の先導的対応に誤りなきよう、一定の方向性を与えることも、統合的な科学技術政策を目指す上では必要である。

(科学技術の価値評価の物差しに哲学を)

 とりわけ、人間及び社会・文化を全体性ないし根源性において認識しようとする指向性の強いのが哲学である。また、哲学は、自然科学に対しても、基礎的な学問として、現実の諸事象を知の秩序の中で統合する性格を有しているのが特徴である。その意味では、科学技術の価値評価を司る物差しは哲学であるが、我が国では、今や哲学の地位が相対的に地盤沈下し、憂えるべき現状にある。哲学でいう因果律の学問体系の崩壊を復旧し、現代文明の論理文脈の転換を図ることが、21世紀に我々が生きる条件であるといえる。

2.学術研究の総合的展開を保障する研究基盤の整備

(1) 学術研究の総合的推進のための基本的枠組みの確保

提言3 

 学術研究の推進に当たっては、その基本的な特質に即し、視点を将来において、広範な学問分野にわたる基盤的研究の維持・発展と優れた研究の選択的・重点的推進との調和ある発展を図る研究環境を確保することが基本である。これらの研究条件を保障する現行の研究資金配分の基本的枠組みは、将来とも維持する。

  学術振興における研究資金の基本的構図

(第2期基本計画の方針)

 学術研究推進の主体として中心的機能を有する大学等においては、基本的に、基盤的研究資金(中核的経費は「教官当積算校費」)と競争的研究資金(「科学研究費補助金」)の二本柱で構成され、両者が相補う形で、幅広い研究基盤の培養と独創的・先駆的研究の奨励が進められてきた。とかく、教官当積算校費という基盤的研究資金は、経常的に配分されることから、等閑にされがちである。

 第2期基本計画では、多元的な研究資金の拡充を唱え、とりわけ、競争的研究資金については、その期間中に倍増する方針を打ち出しているが、教官当積算校費については競争的研究開発環境の創出に寄与すべきとの観点から、その在り方を検討するとしている。

(基盤的研究資金の役割)

 広範多岐にわたる学問分野の研究は、すでに述べたごとく、自然界の普遍的原理に由来する科学の内在性や外在的な要請に媒介されて発展していくものである。個々の研究者が自主的に行なう研究計画には、それが独自の発想によるものであればあるほど、その成果の見通しを当初から立てることが難しいものが多い。その意味で、基盤的研究資金は、研究者の自由な発想を助長し、その継続的な研究を支える原動力として、重要な役割を果たしている。これが保障されないような結果になれば、流行現象に依存せずに、地道で個性的な研究活動をしながら、次世代を担う多彩な発想の人材を生み育てている多くの研究者の志気が削がれ、大半を占める地方の大学の存立そのものが危うくなりかねない。改革ばかりで活性化の視点がなければ、日本全体の活力がなくり、悔いを百年に残すことになろう。

 2000年ノ−ベル化学賞受賞者の筑波大学名誉教授・白川英樹先生も、ご自身による研究の経験から、「日本の大学は、校費という形で最低限の研究費が入ってくるが、それは非常に貴重なことである。これが基礎的なところを支えている」との見解を述べられている(「OKAZAKI」2001年No.04、岡崎国立共同研究機構)。

(学術研究資金配分の基本的パタ−ン)

 今後、どのような学術研究の展開が、どのような新しい科学技術の可能性をもたらすのか、その全貌を予測することは不可能であることを考慮すると、大学の研究活動においては、「基盤的研究資金」により、まんべんなく広範な学問分野を開拓しておくことが必要である。それを基盤として、その中から優れた研究計画を選定し、優先的・重点的に「競争的研究資金」の科学研究費補助金を投入して先導的・独創的な学術研究を総合的に推進しようとする、現行の「デュアルサポ−トシステム」は、真に厚みのある学術研究の健全かつ効率的な発展をもたらし、最も大切な人材養成にもバランスよく対応できる基本方策なのである。いやしくも、行財政改革の一環との理由から、この屋台骨を揺るがすようなことがあっては、我が国の学術・科学技術基盤の弱体化につながり、その発展的展開は望むべくもない。その結果は、正視するに堪えない深刻な打撃を受ける事態に立ち至るであろう。

 多元化する競争的研究資金の在り方

(科学技術政策における最近の動き)

 近年、学術研究における研究費財源の多元化の傾向は、これまでの大学研究者を取り巻く研究環境に関するいろいろな調査から見ても進んでおり、研究者間に競争的環境が生まれ、研究の活性化につながるとして評価される。

 文部科学省の科学技術・学術審議会が発表した「競争的資金の在り方について」(平成13年10月12日)の見解として、「多様な競争的資金が併存するマルチファンディングは効果的であり、さらなる充実を目指すためには競争的資金を一本化するのではなく、各制度の目的・性格の一層の明確化などの改善を図りつつ、充実強化に努めることが必要である」としている。

 また、「米・英においても、研究費のマルチファンディングが研究力の強さをもたらしている」と指摘しているが、特に、米国の科学技術政策においては、重要な基礎研究の本拠地は大学であるという前提で、いろいろな政府機関から基礎研究費が大学に流れている。こうした政府と大学との関係こそが、国際競争力の強化への基本認識になっている。1997年度のノ−ベル物理学賞は、「原子のレ−ザ−冷却とその物理学解明」に貢献された3名の研究者に授与されたが、その内の2名は米国人であり、その研究をサポ−トし研究費を主として助成したのが、全米科学財団(NSF)ではなく、海軍省であったことは、あまり知られていない事実である。

(研究資金の配分・審査体制の望ましい方向)

 これに対して、我が国においては、とかく、競争的研究資金は、公的な研究助成制度の趣旨・目的が重なるのは効率的でないとして、一つの方針のもとに統一される風潮が強く、また、すぐにも成果が期待され役立つような研究に助成しようとしがちである。

 学術研究推進の中核をなす科学研究費補助金は、いわば指定席でなく、全科学者に開かれた「ボトムアップ型基礎研究」のための唯一の研究助成金である。真に創造的な研究は、研究者の独創的発想から生まれるものであるので、この特性は優れた成果を期待し得る研究計画の立案上重要と考えられる。今後格段に拡充し、一層の運営の改善を図ることが望ましい。

 さらに最近は、科学と技術との結び付いた技術革新の流れを受けて、各政府機関や特殊法人等からも、その行政目的に関連しての「トップダウン型研究」のための資金が大学等にも導入されてきている。これらの競争的研究資金の運用のためには、米国の例に見られるように、学術研究上、あるいは、時代の要請等に対応して、それぞれがお互いに特色を出しながら、適切に多様なメニュ−を提供するとともに、研究者自身の個性的な発想の流れをつくれるような、広い視野や見解があって然るベきである。総合科学技術会議は、国家政策全体の中で、重要な研究分野への助成が抜け落ちたり、あるいは、重複したりするリスクを極力少なくするような大乗的立場からの基本方針を示し、個別的・具体的な審査・配分方法は、それぞれの政府機関が主体的に行動できるような体制とすることが強く望まれる。

 基盤的研究資金と間接経費との関連

 第2期基本計画の方針によれば、獲得した競争的研究資金に応じ、目安として当面30%程度の間接費が計上され、当該研究者の研究開発環境の改善や所属機関全体の機能の向上に活用されるとしている。この間接経費と基盤的研究資金との関係については明確にされていないが、トレ−ドオフの関係になり、競争的研究資金の拡大につれて段階的に大幅に削減される方向のように考えられている。

 しかしながら、間接経費の計上は、競争的研究資金のすべてに対して行なわれず、その比率も必ずしも一定化されていない。平成13年度で見た場合には、大学等への還元は、実質5%に止まっているに過ぎない実態などを考慮すれば、間接経費は、長年にわたり据え置かれ、実質マイナス成長となっている基盤研究資金に上乗せをし、ト−タルとして研究基盤の充実に資することが望ましい。

 例えば、国立大学の独立行政法人化を視野に入れれば、間接経費により、発展性の期待される地味な基礎的な分野や政策的に全くノ−マ−クの分野(収益事業につながらないような分野など)、あるいは、若手研究者の育成に対して、弾力的に手当することができれば、メリハリがついて、実効性が期待される。


(2) 大学共同利用機関のプロジェクト型共同研究の重視

提言4 

 大学共同利用機関は、それぞれの分野における我が国の中核的研究組織であるのみならず、国際的にも重要な研究拠点である。同機関の「プロジェクト型共同研究」は、将来の学問の発展を見据えながら、全国的・専門的な見地から競争的に徹底した論議をして立案され、審査により採択されるものであることに鑑み、そのための経費は、基盤的研究費といえども、「競争的研究資金」の性格を有するものであり、その保障と格段の拡充を図る。

 大学共同利用機関の共同研究機能

 同機関においては、全国大学・研究機関の研究者との連携を図り、世界各国の研究者とともに活発な研究活動が展開されている。このような研究形態とその機能は、我が国の学術研究を常に国際的水準で推進する上で大きな役割を果たしており、国立大学が独立行政法人化されても、その体制の一層の強化と機能の充実が必要である。

 共同研究経費は、国際的競争力を保持するための基礎的研究費

 共同研究計画は、大学共同利用機関の中核的設備・施設を活用して推進される観点から、とかく「基盤的研究資金」の中に位置付けられがちであるが、研究者間における激烈な競争原理が働き、審査の上決定される研究計画である。科学研究費補助金のように、公的な第3者審査機構での外部評価によって採択されるものではないにしても、厳格・公平に評価が行なわれて設定される過程の実態から見れば、共同研究経費は「競争的研究資金」として、長期的に保障され、拡大が図られるべき性格のものである。

 これに対しては、競争的な研究資金であるとすれば、科学研究費補助金を活用すべきであるとの意見が出されるであろうが、全国の研究者による共同研究の中核体を形成する大学共同利用機関は、国際的に打ち勝てる卓越した研究を推進するという、本来的な目的を有し、本質的に競争的要素の強い組織である。この「プロジェクト型共同研究」の経費は、大学共同利用機関がその機能を果たすことを保障する、いわば「バックボ−ン」ともいうべき研究資金であると認識することが必要である。

(3) 政策的プロジェクト研究の効果的推進

提言5 

 基本計画に定める「国家的・社会的課題に対応した研究開発の重点化」の戦略的推進のためには、総合科学技術会議が当該分野・領域における政策目標と推進すべき基本的事項に係る基本的なスキ−ムを明確にし、その目標を達成するために必要なプロジェクト研究計画は、研究者からのプロポ−ザルに基づく研究計画をも動員して効果的に組織し、実施体制を整備する。

 重点的推進のためのプログラムの策定

(推進戦略としての基本的スキ−ム)

 基本計画における重点分野の政策的プロジェクト型研究といえども、学術研究との係り合いなくしては、未来志向の高度な研究開発の発展は期し得ないことは明らかである。その戦略としては、産業・大学・政府との間の高度な協力環境の中で推進し得るような仕組みを整備することが必要である。総合科学技術会議は、学問上の要請や研究者を中心とする各方面の意向を適切に汲み上げ、明確な研究開発の目標と当該分野・領域に関する推進方策に関する基本的事項を定めて、その施策を展開することが基本的に重要である。

(実施計画の組織化と運営)

 具体的なプログラムは、基本的スキ−ムに沿って、その時点での国際的研究水準、研究進捗状況を基礎にし、多くの研究者の知恵を結集して研究計画の立案・組織化を図る必要がある。ただ、これまでの政策的プロジェクトにおいては、研究費の流れが人の組織を形成する傾向がよく見られたが、それは「集まった研究者群」でなく、「集められた研究者群」となりやすく、革新的な科学技術の発展に障害になることもゆえなしとしない。研究開発を前進させるのは、名監督と多くのコ−チの存在の下に、独創的アイデアを持つ人材を結集する着実な努力である。このためには、研究者から広くプロポ−ザルの提出を求め、その中から優れた研究計画を取り入れるなど、研究者の自発的な集合を促進し、実効性の高い研究組織をつくる施策が重要な視点となろう。

 政策的重要分野の推進戦略基盤の整備

 研究費が重点的に投入される政策的分野の研究開発においては、将来への発展を展望しつつ、その推進基盤の強化を図ることが必要である。その具体的対策として考えられるものを挙げると、次のとおりである。

(ア) 推進戦略としては、先端的な深い研究を目指すことは勿論であるが、将来的には、その裾野をより拡大し、高いピラミッドを構築するために必要とされる研究分野を育成していくことも重要な視点である。そのために、重点推進分野に投入される研究資金の一定割合を、必ずしも、直接の目的にあまり拘束されない自由な研究活動に配分して、将来の発展に備えることも必要であろう。

(イ) トップダウンにより、新しい展開に向けての科学技術の重点化・計画化を推進するためには、科学技術に対する広い視野と洞察、鋭い現状認識と将来の動向分析に裏打ちされた大局的な骨太の政策立案が必要である。

現在、総合科学技術会議が、必要に応じて専門調査委員会を設けで戦略が策定されているが、この頃は指導的な研究者、殊に第一線でなお活躍の研究者が会議に引っ張りが出されて多忙を極めている。落ち着いて研究をしたり、深く政策を考えたりする余裕はほとんどなく、「研究に専念し、研究を楽しみたい」というのが研究者の本音である。

 これからは、達見を持った科学技術政策企画担当行政官の育成が重要な課題である。このための大学院コ−スを新設・拡充するとともに、すでに活躍している技術者・研究者・行政官への幅広い再教育計画を拡充することが望まれる。

(4) 高度な生物遺伝資源システムの創設

提言6 

 生命科学研究に必要不可欠な素材である生物遺伝資源をめぐる国際的環境がますます厳しさを増す状況下にあって、日本独自の生物遺伝資源の確保を目指すとともに、研究支援業務に従事する職員にインセンティブを与えるような体系を整備する観点から、高度な生物遺伝資源支援システムを創設する。

※ 本提言関連:松尾研究会報Vol.9「大学の研究システム改革への6提案」の「リ−ジョナル研究支援システムの創設」(2000年)を参照。

 生物遺伝資源の体系的・戦略的な確保・活用

(生物遺伝資源のもつ新しい意義)

 ヒトをはじめ主要な実験生物のゲノム塩基配列の解析が完成した後、生命科学研究における次の大きな課題は、ゲノム機能の解析である。これに対しては、蛋白質を中心とする先端的な分子レベル解析と並んで、高品質かつ多様的な実験動物を対象とする固体レベルの形態解析を進めなければならない。生物遺伝資源は、実験生物の素材として新しい意義を持つ。

(新展開期における系統の確保・活用体制)

 生物遺伝資源は、新しい系統の生物を開発する上で欠くことのできない重要な原材料であり、きわめてオリジナリティの高い研究の基盤となるものである。これまで、研究上必要な生物遺伝資源は、国立大学の研究者により僅かの系統保存経費をもとに細々と保存・供給が続けられてきたが、総合科学技術会議の本格的な取り組みで、「国家生物資源戦略」による基盤整備が期待されている。

 今後、大学の研究者間で生物遺伝資源を共有しつつ、その有効利用が効果的に行なわれるようにする保存・活用のシステムとしては、「医学・生物学研究のためにニ−ズが大きいもの」「保存すべき価値の大きいもの」は中核的機関が担当し、「大学等の研究者がが専門的な研究の傍ら維持しているもの」等は分散型の専門的機関として措置し、ト−タルとしてのネットワ−ク体制を整備することが必要である。これらの事業は、その性格から、競争原理に委ねることができない分野であり、国として一定規模の投資を継続的に行なうことが求められる。例えば、米国におけるリソ−スグラントのようなものが考えられる。

 国の知的資産としての生物遺伝資源

(日本独自の生物遺伝資源利用権の確保の必要性)

 生命体の持つ遺伝子は、長い進化の過程を経て現在に至った貴重な資源であり、新たな特性を持つような実験生物の創生の観点からは、各種の生物資源としての遺伝子の確保は欠かせない。これまでは、そのほとんどを欧米から無償の形で提供を受けてきたが、最近では、知的所有権政策が厳しくなり、近い将来、クロスライセンスでないと円滑な研究材料の交換ができない時代が到来すると予想されている。こうした事態に備え、日本独自の遺伝資源利用権を確保し、国際的に対等の立場で交換できる体制を整備することが緊要である。そうでないと、将来、生物遺伝資源に立脚した日本独自の画期的な仕事ができなくなるおそれなしとしない。

(国際的立場からの保全と有効利用)

 しかしながら、多様性に富む生物遺伝資源は日本に少なく、東南アジアに多い。これらの諸国では自らその保存と遺伝子レベルでの解析がはじめられており、今や、これら遺伝資源を導入するには、目的を共通する研究機関や研究者の合意に基づく国際協力なくしては望み得ない。これからは、東南アジアに積極的に進出し、現地の研究者と共同研究を行い、国際的保全と有効利用を図っていかないと、新しい重要な生物遺伝資源を研究材料としにくい時代がくるといえよう。我が国が、このような方向で、国家戦略としての体制を整備し、先導的な役割を果たせば、その成果は必ずや努力を償っても余りあるものがあるというべきである。

 研究支援業務の地位の向上と独立性

(研究機能と研究支援機能との境界の不分明)

 総合科学技術会議から生物遺伝資源に関する、今までになかった新しい方向性が出されても、問題がすべて解消するわけではない。特に、生物遺伝資源を利用する研究に対して、それを支援する保存・供給等サ−ビス業務については、いくら努力してもそれに報いるインセンティブの仕組みのないのが実情である。我が国の大学のアカデミズムには、研究支援的業務は、2次的でレベルの低い仕事としての考え方が底流にあるからである。これは、多分に構造的なものであり、広く技術系列に共通する現象である。要すれば、研究機能と研究支援機能との境界の不分明さからくる問題であると考えられる。

 例えば、国立大学医学部に設置の動物実験施設には教官定員が配置されているが、施設の教官が支援業務に属する仕事に時間と努力を傾けると、教官としての十分な研究を行なうことが難しくなり、反面、研究に重点を置けば、サ−ビス面の不足を指摘される。他方、研究支援職員側では、その職能の意義とこれに対する誇りを見失いがちになる傾向が強い。このような現状を踏まえれば、研究者から離れた、当該職能の集団的社会をつくり、適切な職階を設けて格段の処遇改善を図ることが必要とされる。

(研究支援業務の独立性)

 今、日本と米国との間には様々な格差が生じているが、その中で徹底的に差をつけられているのが、研究を支える技術水準である。かって、我が国には、独自の技術を創出する基盤があったが、今では、この経験豊かな技術の伝統が消えかかっていることは大きな問題である。

 例えば、世界ではじめて「種子植物(イチョウ)の精子を発見(1896年)」をしたのは技官であり、「緯度変化におけるZ項の発見(1902年)」はクモの糸を用いた精密な機器があってはじめて成ったといわれるが、それには技術職員の卓抜な技術があったからこそである。その他にも例をあげれば枚挙にいとまがないが、いうなれば、技術職員の創意工夫により、画期的な仕事につながったといえる。その点では、経験豊かな大学等の研究支援組織は貴重な資産であるというべきである。

 生物遺伝資源業務が他の技術分野と異なる大きな特徴は、系統の種類が多く、その一つの系統をとっても、多くの研究者たちが、多量に使用するということである。外注による研究支援事業の推進も考えられるが、秘密を厳守してくれるかどうかの多少の懸念もあり、何よりも問題はコストが高いことである。


(5) 学術研究情報発信基盤の整備

提言7 

 学術研究情報の電子ジャ−ナル化及びweb公開システム化を推進するために、将来、欧米に並ぶ3極形成を目標に、国家的視点に立ち、ジョイント・ベンチャ−・ビジネスを育成する方向で体制を整備する。その運営に当たっては、学協会との連携を密にし、すでに独自の取組みをしている学協会やその連合体に対しては公的支援ができるような制度を導入する。

 電子ジャ−ナル・オンライン化の研究開発状況

(ア) 科学技術振興事業団の「科学技術情報発信・流通総合システム」計画

◇ そのシステム(J−STAGE)の計画は、国家的プロジェクトとして、1999年、科学技術振興事業団(JST)において発足し、投稿から公開まで、学術研究情報の発信を支援するもので、学協会は、これを利用し、学会誌、論文誌を容易に、かつ、低コストで電子化できる。電子化した論文は、世界のどこからでもアクセスできる計画になっているが、未だに運用レベルにまで完成されたものとはなっていない。

◇ J−STAGEは、NTTラ−ニングシステムと組んでの事業であるが、それが持つ問題点は、開発がトップダウンではじまり、ボトムアップの思考プロセスがほとんどなかったことである。このため、1次情報を作成する学協会への配慮が不十分であったことは否めない。

(イ) 学協会における取組み

◇ J−STAGEが未完成の中で、欧米の学会系出版社や商業出版社は競って我が国の有力な学会のジャ−ナルの取込みに攻勢をかけてきている。我が国の現状は、まさに危機的環境に置かれている。こうした状況を踏まえ、自ら取り組もうとする学協会も出始めているが、このほど、論文投稿・審査から公開されるまでの過程のすべてをインタ−ネットを介して行なう支援システムが、(財)日本学会事務センタ−(受託学会数259、延べ会員数35万人の規模の連合体)により、独自に開発された。

 「OlédiO」と呼ばれる、このシステムは、すでに日本生化学会の欧文論文誌から稼働をはじめ、日本生理学会、日本癌学会などへの運用が予定されている。その運営形態は、学会向きであることから、参加を望む学協会も少なくないが、実際の運用には何らかの公的資金援助がなければ、その導入が困難な状況に置かれているのが実態である。

◇ 電子ジャ−ナル化の民営化に向けての取組みが最も進んでいるのが、日本応用物理学会である。米国の物理学界における学術雑誌の発行を最も重要な機能とする「アメリカ物理学協会」に相当する「物理系学術誌刊行協会」(IPAP)を発足させ、その発展に向けての環境づくりがなされている。日本化学会でも、一つのジャ−ナルをIPAPの印刷業者に対して、2002年度から委託を行い、化学系と物理系の大元のデ−タ(メタデ−タ)のフォ−マットの統一化を図る試みをしている。それができれば、論文電子ファイルのデファクトスタンダ−ドになり得る可能性がある。

 学術研究情報の発信基盤整備の基本的考え方

(ア) 基盤整備に対する制度的な枠組み

 これからの学術研究情報発信基盤の基本的スキ−ムは、学協会、印刷事業所、J−STAGEとしての科学技術振興事業団、電子図書館としての国立情報学研究所が4位一体となって機能することが基本であると考えられる。

 その際、近年における学問分野の爆発的な広がりや学術専門誌の商業化への国際的傾向の激化など、学協会を取り巻く著しい状況の変化に適切に対応しつつ、一層の発展を図るための積極的な施策を推進することが必要である。特に、webオンライン化に関する国家的プロジェクトの施策においては、上述の基本的スキ−ムを踏まえつつ、学協会の自助努力の進展をも視野に入れて、競争的で開かれた環境の中で総合的運営ができるよう、学術情報ト−タル・システムとしての制度的枠組みを整備することが必要である。

(イ) 公的支援方策の考え方

 学術研究は、成果を公表して初めて完結し、その成果の流通・蓄積・利用の基盤が保障されてこそ、人類共通の資産としての価値を持つ。そうでなければ、「科学技術基本計画」により、いくら重点投資しても、科学技術の進歩への貢献という本来の目的は達しえない。

 学協会が持つ「創造と交流」という公共的責務を果たすためには、国は、より積極的な支援体制を拡充・強化する施策の展開を図るべきである。その際、学協会に対しては、webシステムの運用体制の育成と充実の視点から、公開系に登載するための作業負担とシステム利用における人材育成、コストに対する公的資金による支援が特に要望される。

3.成熟した産学連携推進基盤の構築

提言8 

 産学連携の機能を高めるために、最も価値の高い独創技術を生み出す源である学術研究を活性化し、それを継承発展させる人材の養成を図ることが大学の社会貢献への基本的な条件であるとの認識に立ち、大学と民間企業とがそれぞれの立場からお互いに共感をもって社会的要請への先導的対応に協力し合う成熟した関係に進展させる新しい制度的な枠組みを整備する。

※ 本提言関連:松尾研究会報Vol.8「産学連携推進の現状と課題−研究連携システム・技術移転の実態と新しい方向」(1999年)を参照。

 産学連携政策の一般的状況と改革の動き

 我が国の大学社会には、アカウンタビリティの問題も関連し、特許より学術論文といった風土があって、知的資産の特許化戦略に乏しく、企業との関連でも、組織原理の違いもあって容易に技術移転が起こりにくいに構造があった。しかし、1998年、「大学等技術移転促進法」の施行により、技術移転機関(TLO)が設置されるに及んで、次第に大学人の特許意識が高まり、TLOに対して直接に技術移転の要請が持ち込まれたりするケ−スも増え、今では、海外特許取得を含めて積極的な特許出願の活発な動きが見られるようになった。

 それで、すべての問題が解決したわけではない。例えば、大学の研究成果がそのままの形では技術移転ができず、企業を引き込んでの共同研究が必要とされたり、特許の申請・取得をするにしても、それらに要する経費は多額のものとなり、TLOとしては、製品化して収益が生まれるような研究成果でなければ、タネがあるからといって直ちに特許化できない実情がある。

 第2期基本計画を受けて、知的財産権の重視政策とともに、産学連携の仕組みの改革が求められているが、今、総合科学技術会議をはじめとし、文部科学省や経済産業省でも、産学連携・協力に係る規制緩和や制度改革に関する構想が百花繚乱の状態である。マッチングファンドからはじまり、大学発ベンチャ−支援のためのインキュベ−ション問題、高度な人材の派遣、さらには国立大学内に本社を持つベンチャ−事業の立ち上げなど、考えられるあらゆるものが提案されている。大学等の研究者といえども、科学技術、産業の種々の面での国益をめぐって、激しい国際競争の渦に巻き込まれざるを得ない状況にある。

 成熟した連携関係を築くための基本的課題

(ア) 産学連携の基本的考え方

 2001年ノ−ベル化学賞に輝いた野依良治教授(名古屋大学)は、産学協同について「大学が何か隠し球をもっていて、それを産業界に渡せば、一気に事業化できると思ったら間違いである。日本の産業に元気がないのは、創造力が足りないからだ」という辛口の発言をされている(平成13年10月17日・読売新聞より)。

 最も価値の高い技術のフル−ツフルな芽は、学術研究に根ざした独創的な成果の中にあるというのがTLO界の常識であり、産学連携の発展的展開には学術研究こそが重視されるべきである。しかしながら、大学の研究成果には、直ぐに役立つような技術はほとんどなく、科学が技術に転化するには、その中間に難所があるといわれている。

 産と学が互いに影響し合うにしても、将来的に、どの研究成果が応用されて産業的利益を生む値打ちがあるのかどうかは、科学技術の現状と動向、マ−ケットのニ−ズを基礎にして評価して判断されるものであり、それができる眼を持った人材が、大学にほとんどいなく、TLOでも不足している。それができるのは、民間企業である。しかも、有用性を目的とする研究開発においては民間企業に高度な競争力が潜在しているといえる。むしろ、技術移転は、民間企業が大学の知的資産を認めて、大学と共同開発するのが本筋であると考えられる。

 この意味から、産学連携は、大学(TLO)と企業とがそれぞれの立場から、お互いが先導的技術革新のために戦略的に連携・協力し合う、成熟した関係を進展させ、高度化させていくという基本的な考え方に立脚することが必要である。

(イ) 産学連携の性格と取組みの姿勢

 もともと、産学連携には、学術研究成果の客観的検証という性格があり、企業が大学の研究成果を基にしてイノベ−ティブな技術にまで効率よく育て上げて、結果を導き出してくれることへの期待がある。同時に、大学としては、技術移転の過程に参加することで、その研究自体の内容を深化させたり、新しい視界を開いたりして、知識を増殖し、次世代の産業の創造の糧にしたいというのが、大学が持っているインセンティブである。その意味で、産学連携は、社会機能と学術研究機能との双方的交流を活発化させることが、基本的な性格であるといえる。

 今日、国立大学法人制度化の進展する中で、大学に対してより一層の経営センスが求められ、産学連携は新しい段階に入ろうとしている。最近、伝えられるところによれば、すでに大学の中には、市場に受け入れやすい研究に偏る風潮が出始めているとのことである。勢い、産業価値を高めるような研究でなければ、それこそ役に立たない研究との烙印をおされてしまうおそれなしとしない。このような雰囲気が醸成されるようであれば、大学の存立基盤を揺るがしかねない。

 フランスのパスツ−ル研究所では、米国とは相反する文化的流れがあり、応用に近い研究をしていても、その研究が将来どのような利益を生み出すかは考慮せずに、真理の探求心に支えられて、何よりも磨かれた個性に裏付けられた研究姿勢が今も受け継がれているといるという。いやしくも、産学連携にのめり込むような姿勢になっては、学問研究への価値観を狭くしかねない。産学連携の強化は、学術研究の成果で技術化につなげられるものを産業界に移転するためのパイプを太くすることに基本線があると解すべきであろう。

 すなわち、大学等が産学連携に取り組むに当たっては、学問の府としての学術研究の特質に十分に配慮し、あくまでも大学の主体性の下において、研究者自身による努力を促進・助長することを基本にして、特色ある対応の展開を図ることが必要である。

 今後の技術移転への視点と方策

(TLOの活動と展望)

 TLOの仕組みは、旧文部省と旧通商産業省が共同して法律化して設けた制度であるが、その設置数は、大学関係で承認されたものが26、旧国立研究所(工業技術院)の1つを含めて、全体で現在のところ27となっている。その主たる役割は、大学等の研究成果を実用化につなげるためのチャンネル役であるが、最近では、大学等から出てくるのを待つ、いわば「待ちの姿勢」でなく、研究者に対するアドバイザ−としての機能をも果たす「積極的な姿勢」へと転換している。すなわち、学内を回り、オリジナリティのある研究成果を発掘してその特許化への価値を評価し、必要があれば、論文投稿の前に学会発表を遅らせるなどの「フィルタ−的機能」をも果たしているのが現状である。

 こうして、TLOの活動が次第に学内に浸透し、最近では、TLO法に続く国立大学教官の役員兼務が認められたことなどが引き金になり、国立大学は内向きにならずに、学から産への技術移転に積極的に取り組もうとする気運が着実に高まっている。国立大学が法人化されれば、知的所有権の重視の視点から、大学自身も、TLOと協力して、研究情報の発信、発明の価値と特許化及び特許管理に関する統合戦略を策定し、産学連携の組織的な取組みを強化する環境整備を図ることが重要である。

(科学知識を公共知識に移転するシステムの構築)

 工学系分野では、TLOを中心に技術移転の活発な動きが見られるが、医学系や地球物理学系は、社会との接点がありながら、大学等の研究成果が容易に技術移転やベンチャ−企業に結びつかない分野である。例えば、医学系では、トランスレ−ショナルリサ−チという言葉が流行している。基礎研究を臨床に役立つような関係にするための研究の流れであり、これを口にしないと時代遅れのような風潮さえ見られるが、実際にこの研究を誰がどのように進めるのかという具体論になると、大変に難しく、これに従事する人材がいないという現状がある。また、地震予知研究は、現段階では、いまだ実効を期しがたい状況にあるが、その科学は着実に進歩している。地域防災に生かせるような科学的な予測が得られた場合、そうした成果をどのように社会に役立てるのか、それについてアドバイスのできるインタ−フェ−スのような存在がない。産学連携とは少しく性格が異なるが、そうした科学知識を公共的な軸に移し替えるシステムを構築することが必要である。

 まず、何よりも必要なことは、科学と社会との両方の世界に軸足を置き、広く高度な能力を有する人材の養成である。少なくとも、研究成果が基本的に理解できることが前提であるが、大切なことは、しっかりした基礎的な知識や技術に加えて広い教養を持ち、将来を見通して物事を判断できるような見識を備えた人材を育成することであろう。そのためには、大学院教育の中に幅広く教育訓練する計画を組み入れることが要求される。そうした基盤的能力さえあれば、いかに社会環境が変わっても、研究成果を広く総合し、課題の解決に取り組む見識が発揮できるものと期待される。

 ベンチャ−起業の観点から

 最近は「学者ベンチャ−」という言葉がよく聞かれるようになった。これまでは、ベンチャ−起業を志向し、実際に立ち上げようとしても、これに対するバックアップの環境が育成されてこなかったが、構造改革政策を受けて、今、その環境は様変わりしつつある。

 平成13年8月現在で、筑波大学などの調査によれば、「大学発ベンチャ−企業」は251社にのぼっている。この増加傾向は、国がベンチャ−起業に積極的な支援策を打ち出したことに加え、教員や学生の意識に変化が出てきたことが背景にあるが、大学院生などが研究の延長線で会社を起こすケースが目立つようになったといわれている。

 大学等の研究成果を実用化に直ぐつなげるベンチャ−活動の発展のためには、教員に関心と興味を持ってもらうことが必要であるが、それができるかどうかは人による。学術研究と実用化研究とでは目的が異なり、優れた研究者がベンチャ−活動にも向くとは限らないからである。

 今、日本には米国的な研究環境が蔓延している。すなわち、科学技術力による産業の国際競争力強化政策を背景に、研究資金が導入できるような社会的ニ−ズを踏まえた役立つ研究が重視されるようになってきているからである。競争のないところに進歩がないことに理があるにしても、あまり競争ばかり強調され過ぎると、多分、それに耐えられなくなり、科学の原点への回帰が問われてくるであろう。若い人たちの中にも、それに反発して背を向ける者も現れている。競争には公正さが重要である。




第 III 章 国立大学等の改革と活性化のための提言

 国立大学法人化論議は、行財政改革の一環として始められたが、平成13年9月に、文部科学省の調査検討会議(主査:京都大学学長・長尾真)から「国立大学法人」の制度に関する中間報告がなされた。文部科学大臣からの国立大学構造改革の方針には、「大学の再編・統合」「民間的発想のマネジメント手法の導入」「21世紀のCOEプログラム」の3本柱が示されているが、中間報告による新しい国立大学法人像では、大学の経営責任を明確にするとともに、競争原理による機動的かつ戦略的な組織運営を目指すことに主眼が置かれている。その最終報告は、平成14年3月26日に文部科学大臣に提出されたが、中でも、中間報告で結論の得られなかった教職員の身分については、能力主義を中心とする柔軟な人事制度を実現するために「非公務員型」とすることが決まり、外国人の学長就任も可能としていることなどが提案されている。

 こうした大胆な国立大学改革案を鮮明にするのは初めてのことであるが、大学組織・財政に関する規定やその運営のいかんによっては、大学の基本機能である教育研究が深刻な打撃を受け、教育研究者のレベル低下につながる懸念がないとはいえない。いずれにしても、文部科学省は、この報告を受けて、国立大学法人法案を国会に提出することになるが、早ければ、平成16年度から移行する見通しである。

いうまでもなく、学術振興は、高等教育と相互に表裏し、一体的な関係に立ち、事は国の盛衰にかかわる重要な問題である。今後とも大学の役割と機能を高度に発揮するためには、研究者の個性を生かし、国際化に対応できる、新しい制度的改革について工夫することが、国立大学法人化を推進するに当たっての中心的課題である。


改革と活性化を基礎とする国立大学法人化の推進

提言9 

  国立大学の法人化に当たっては、改革と活性化の両立を基本に、教育・研究の質的水準の向上と社会との連携強化を図ることができる組織・運営体制を確立する。同時に、自主的な財政的基盤を確保するために、公財政支出の一層の充実と相俟って、多元的な資金の円滑な導入が可能となるような文化的・社会的基盤を整備充実する。

※ 本提言関連:松尾研究会報Vol.9「大学の研究システム改革への6提案−優れた個性を生かすインフラの強化を−」(2000年)を参照

(1) 教育基盤の充実強化

 学部段階における問題的状況と課題

(現代に見る学部学生像)

 大学構造改革における重要な柱の一つである「21世紀のCOEプログラム」での大学評価といえば、大学院研究科の評価であるが、今、最も憂えるベき傾向にあるのは学部段階の教育である。

 今日の学生は、多様な価値観の世界に生き、多様なことに関心と興味を持つというが、その旺盛な好奇心の芽を学問研究の世界に向けようとする姿勢が乏しい。一般的で平均的な話にすると、基礎的な学力がない上に、自ら書物を読み、進んで勉学しようとするする意欲が少なくなっているということである。例えば、教員が授業に対する周到な準備をして、重要な基礎知識を学生に教授しても、それが頭脳の中にインプットされているかといえば、必ずしもそうではなく、復習もしなければ、ましてや予習もしてこない学生がほとんどである。こうした学生の意識や態度が最近の学部学生像を象徴している。

(教育機能を高めるための工夫と仕組み)

 これらの問題の根源は、単に入学者選抜の在り方にのみあるのでなく、基礎学力を育ててこなかった中等教育との接続の在り方や様々な社会状況などの要因が複雑に絡み合って生じていることに背景があると思われる。入学者選抜は、各大学の改善努力により変わりつつあるが、大学への受験競争の過熱化は依然と厳しく、おそらく日米間で高校レベルでの学力比較調査を行えば、日本の高校生の方が成績ははるかにまさっていると考えられるが、大学卒業レベルでの試験では、それが逆転することは明らかである。これが日本の現実の姿であるといえる。

 米国では、たとえ高校段階での教育に問題があったとしても、ほとんどの大学が志望者全員の入学を認めているが、学生に対していかに付加価値をつけて卒業させるかについて、様々な取り組みが進められている。その一つが「ゴミトリ」といわれる仕組みである。すなわち、入学の段階から、成績の良い学生とそうでない学生とに仕分けをし、悪いゴミトリに入ってしまえば勉学もできない、良いテリトリ−に入るためには試験で良い成績を取らざるを得ないという仕組みである。

 我が国では、サインもコサインも知らない、分数も解けないし掛算もできない学生が入学してきても、学部教育を充実強化しようとする動きは全くといってよいほどみられない。このままでは、大学院レベルで充実した教育を実施しようとしても、満足にそれができるような状況にはない。

(教育・研究組織の活性化の一方向)

 学部教育の本質は、何に、どのような好奇心を持ったらよいか、その楽しみを誘導してやることである。その意味でも、学問的刺激のないところには真の教育はないといえる。これまでは、研究面の業績だけで教員の適格性が論じられがちであったが、学部教育の活性化のためには、米国で一般的に行なわれている学生による教員の評価は、問題はあるにしても試みる価値はあろう。その場合の評価内容は、大きく分ければ、講義の内容、教員個人の教育技術・態度などが評価要素と考えられるが、何よりも、教員の教育的努力が公正に評価され、それを助長するような研究条件や処遇制度の改善を図ることが必要である。

 大学院の充実と改革

(前途多難な博士課程)

 我が国の大学院をめぐる状況を見ると、大学院重点化の施策により、大学院学生は増える傾向で推移してきたが、最近は、博士課程に限っていえば、むしろ減少傾向が起っている。

 大学院重点化は、大学院の質・量両面にわたる飛躍的な整備充実により、ますます複雑高度化して発展する現代社会に対応するための施策であるが、オ−バ−ドクタ−現象に象徴されるように、増大する博士課程修了者に対する主要なマ−ケットである大学・研究機関等の収容力が平行して拡張されておらず、また、産業界にふさわしい地位を求めても高学歴のキャリアとして十分評価されずに逆に敬遠される傾向にあるなど、博士課程定員との間には需給のアンバランスが存在することは明らかである。

 ポスドク制度にしても、いわば「延命措置」のような形であり、将来への展望が開けないままに、国の研究開発プロジェクトの間を渡り歩く「はしご現象」が顕在化し、新たな政策的問題状況も生まれている。

 こうした博士課程を取り巻く閉塞感が大学院生のモチベ−ションを喪失せしめる結果になり、これでは、我が国のクリエイティブな研究者及び高度な専門技術者の養成計画は先細りになりかねない。

(論文博士をめぐる問題状況)

博士課程修了の高学歴者が疎んぜられる社会構造の背景になっている、もう一つの問題の所在が論文博士である。すなわち、近年においては、修士課程修了者に対する需要が高いために、大学院で博士号を取得できる十分な能力を有している者が、修士課程を修了して社会に進出してから改めて博士論文を提出して博士号を取得するという風潮が強まっていることである。

米国では、学術(基礎)研究に自由に関われる地位を得るためには、博士課程でまずドクタ−を取得することが基本になっている。したがって、米国の大学院では、博士課程を視野に入れて修士課程に進学する者が多く、我が国のような現象は、ほとんど起り得ない。この論文博士が下敷きになって、我が国の大学院制度自体が随分と歪められているともいえる。

 産業界は、これまで、そのような修士課程修了者たちを上手に活用してきたが、その人たちも、次第に基礎研究へと回帰する意欲が高まり、博士号取得に焦りを感じはじめるようになる。たとえ優秀であってもそのチャンスに恵まれていない人も多く、また、そのような人たちをプロモ−トするような成熟した環境は産業界にはない。こうしたことは、産業界の博士課程に対する考え方が未だ成熟の域に達していないという事実を裏付けるものであろう。

(博士課程改革の視点)

 21世紀は、言うなれば、研究者としての個人と個人の知的能力の闘いであり、学界であれ、産業界であれ、高度の研究能力を有する人材が我が国の国際的競争力を強めるための重要な役割を担うことになることは疑いないところである。その意味から、大学院博士課程は、学術の進展を担う研究者と社会における各分野が要請する研究のエキスパートを養成するために、競争原理が機能する環境の中で高い水準の学術の教育・指導を行う機関であることを明確にし、そのために研究科の固有性を反映させつつも、新しい時代に適応する、特色ある大学院教育の内容に変革することが基本的に要求されることとなろう。また、博士課程がこのような方向に進めば、最前線の学問分野の展開や先導的技術分野の創出の担い手であるクリエイティブな人材を確保できるチャンネルであるとして認識され、産業界からの評価も高まり、博士課程修了者にたいする需要は大幅に改善されてくるであろう。

 若い頭脳を生かせる環境の整備

 大学院制度について、いくら弾力化が図られても、大学の組織原理が優先し、大学院生が研究室のピラミッド型研究に組み入れられたり、あるいは、指導教官の興味を引くような研究でないと自分の独自の発想を発揮できないようでは、大学院研究科の質的向上を図ることはできないであろう。院生個人個人の若い頭脳が生かされる研究環境が整備され、そこでの成果が正しく評価されて、それに報いることのできるような仕組みが必要である。

 大学改革の「21世紀のCOEプログラム」施策において、大学院研究科を評価するに当たっては、研究科の業績もさることながら、院生が研究室自体の系統的分野の流れと異なった先導的な研究課題にどれだけ取り組んで業績を上げたか、いいかえれば、その研究科がいかに先導的に対応できる人材を養成したかは、一つの重要な審査要素として考えられてもよいであろう。

 ベンチャ−起業には夢と志を持って

 また、第 II 章の「3.成熟した産学連携推進基盤の構築」のところでも触れたが、筑波大学の調査によれば、「大学発ベンチャ−」の企業が、2000年9月からの1年間に65社が創業し、大学院生などが研究の延長線で起業するケ−スが目立っているという。また、ベンチャ−起業教育に関するアンケ−トでは、回答した国立大学80校のうち、大学院で28校、学部21校で授業が設けられ、単位が与えられていた。私立大学については、174校のうち13の大学院、18の学部となっている。

 米国には、アメリカンドリ−ムといわれる典型的な自己実現のたくましさがあり、大学にはベンチャ−企業の育成を目指すふところの深さがある。そこには、起業家志向の学生を後押しする例も見られる。しかも、MITを例にとれば、学部及び大学院卒業生の上位者は独立した起業家(アントレプレ−ナ−)として自分の会社を起し、中位以下が大企業に入るという傾向が強い。これに対して我が国では、工学系の卒業生は、上位の者が大企業に、中位以下が中小企業に就職するといわれている。米国には学生との時から独立精神の旺盛さがあり、日本とは風土が全く異なっているといえよう。

 しかしながら、学生数も多く、就職状況が厳しい日本が、米国的な文化の流れに巻き込まれるのは、止むを得ない側面がある。問題はあるにしても、工学分野では、少なくともベンチャ−といえそうな研究活動に従事している教員は、学生に理想を語り、将来への明るさを強調すべきである。そうでなければ、今は、学生を獲得できない時代を迎えている。ベンチャ−にリスクがあるにしても、その実現に向けての夢を持たせる教育も必要である。

(2) 国立大学法人化には、文化的・社会的基盤の保障を

 「運営交付金」の算出に関する視点

「知識の創造・蓄積と体系化」という研究機能を介して新しい可能性を生み出すことが大学の本質的機能であり、その知的財産は、時代を超えて伝達されるとともに、その応用化・技術化を通じて人類社会に還元されて文化的・社会的価値を形成する基盤である。そこには国公私立の設置区分や大学の地域配分からくる差別はなく、共通していえることは、「優れた人材の養成は研究機能の質に支えられている」ということである。こうした意味から、大学の教育研究機能の質的向上のためには、大学の改革と活性化を両立させる観点から見直しつつ、公財政支出の一層の充実が不可欠である。

特に、国立大学法人化においては、大学が学問的・社会的要請に適切に対応し、その役割と機能の活性化につなげることができるような文化的・社会的基盤が保障されるべきである。「運営交付金」の算出に当たっては、教官当積算校費を中核とする基盤的研究資金は基本的に維持するとともに、その中から研究者の個性のある発展を積極的に促進し、国際化に対応できるような制度設計に重点を置くべきである。(第 II 章の「1.学術振興の普遍的性格と施策の基本的視点」を参照)

 多元的な資金の円滑な導入を進め得る基盤の整備

 国立学校法人化による設置形態は、「民間的発想のマネジメント手法の導入」という観点からすれば、むしろ私立大学に近く、大学の活性化のためには、財政的自主性を拡大し、大学が自己経営に積極性を発揮し得る条件を整備することが必要である。

(欧米の事情)

 欧米のコミュニティでは、「社会奉仕活動」の展開が重要な部分を占めている。例えば、工学部のないような大学に対しても、篤志家や団体から寄付がなされて、学術研究や文化が支えられている状況がある。

 今、我が国では、経済構造改革に関連して、ベンチャ−事業の振興が重視されてきているが、米国の私立大学には、やたらに人の名を冠した建物がよく目につき、その多さに驚かされる。それらのほとんどが大学の卒業生が事業に成功したことによる寄付物件である。たとえ、大学が資金面での投資を行なっていなくても、ストック・オプションを持っている例があり、仮にベンチャ−が成功すれば、大学は無形の投資というサポ−トをしたということで、大学にもその収益の一部が何らかの形で還元されてくるシステムが慣行的に存在している。その仕組みは、大学に直接に入ってくるのではなく、大学の財団に一旦入り、運用の形で大学に全額寄付される建前になっている。

 そのようなシステムを可能にしているのは、税の優遇措置が法人格の取得と切り離されたシステムになっている税制にあり、我が国のそれとは基本的に異なっている。例えば、個人の寄付金に対しても、私立大学がノンプロフイットであることを証明する届け出さえすれば高い非課税率が認められる。また、富を築いた個人が全財産を寄付しても免税措置の恩恵が受けられる。それでも、生計を立てるのに十分な年金が支給されるから全く心配がない。こうした社会的バックグランドが十分に整っている状況があるからこそ、私立大学では施設の整備には困らないし、優秀な研究者を多く抱えれば、抱えるほど高く評価されて大学も潤うことになる。

(法人化のメリットを生かす施策を)

 国立大学法人になれば、そのメリットを活用し、大学が活力を生み出せるような新しい制度的仕組みを積極的に構築すべきである。特に、大学への寄付金の増大を促すため、教育・研究に対する法人、個人からの寄付あるいは遺贈、さらには、特殊法人等からの研究資金の導入の拡大など、大学への多元的研究資金の受け入れのための諸条件の整備、とりわけ、税制上の改善を図る必要がある。


                         − 以 上 −



あとがき

◆ 平成13年1月の中央省庁再編に期待される改革の目玉の一つが内閣府の機能強化であり、官界が抱えている縦割りのしがらみを打開することにある。しかし、構造改革においては、とかく、行政機能の効率化と強化という旗印が強調されるあまり、長期的に見て大切なものが見失われがちになることである。科学技術政策においてもその例外ではない。

◆ 科学技術政策の司令塔ともいわれる「総合科学技術会議」が、「文部科学省」とともに発足し、1年余が経過した。寄せ集めの形で動き出したにしても、国の重要政策が、経済性や効率性の観点と価値に重点が置かれ、直ぐにも成果の出るような役立つ研究に期待する向きが強い。しかし、学術固有で不易のものへの配慮が欠如しがちになるのであれば、21世紀における創造的展開は期待されないであろう。

◆ 「学術」と「科学技術」とでは、これまでの文化的育ちも振興手法も異なり、従前から不協和音の傾向なしとしなかったが、今次の改革では、この両者をいかに調和させ、一体的に政策を進めるのかが注目されていたところである。文部科学省の研究3局の筆頭局が「科学技術・学術政策局」の名称になっているのも、その姿勢の具現化であると理解しているが、改革という嵐は引き続き吹き荒れそうである。

◆ 総合科学技術会議は、国家政策全体の中での科学技術政策の大きな方向付けが重要な役割であるが、ともすれば、短期的経済効果に焦点をおいた応用研究や産業技術開発の重視に傾斜し、未来を拓く原動力である「学術」という文化的土壌を豊かに育成する視点が希薄化して来ていることに非常な懸念を抱く有識者も少なくはない。今や「学術」という言葉は、死語になりつつあるようにも思えるのである。

◆ 本研究会では、以上の基本的認識に立ち、「国立大学法人」の制度設計が進み、学術研究環境が急変する厳しい方向にある中で、学術の基礎にあるものを洞察し、真の創造的な活力を生み出せる積極的な取り組みを、新しい科学技術・学術行政体制に期待して、平成13年度のテ−マを設定したものである。

◆ 幸い、研究会では、学術研究の重要性の視点から、自由闊達な論議が行なわれ、より具体的な方向に展開されたことに感謝し、今後の学術振興のゆくえをうかがい知る一助になればと願いつつ、本報告書を送り出すことにした次第である。学術振興の普遍的な成果と意義が多くの方々に理解されるとともに、それに対する関心が一層高まることを期待したい。

◆ 議論の過程の中には貴重な示唆や提言も含まれおり、それらを可能なかぎり生かす方向で取りまとめを行なったが、本報告書に盛り込めなかった部分も多く、そのために、その間の審議状況を整理し、「主な論点の整理」の形で「付属資料」にしたので、併せてご一読をいただきたい。なお、報告書の本文、付属資料において、いささか不備の点や適切さを欠いた表現があれば、その責任は私にあることを申し添えたい。

◆ 最後に、本研究会の運営に際しては、座長・菅野晴夫先生をはじめ、各委員や特別出席者、研究協力者から絶大なご協力いただき、おかげさまで極めて示唆に富んだ内容の報告書になりましたことに、改めて感謝と御礼の意を表したい。

 平成14年3月

常務理事  飯田益雄



平成13年度松尾研究会委員名簿 



(委員側)
荒井 滋久 東京工業大学教授
(量子効果エレクトロニクス研究センター)
電子工学
上原 健一 筑波大学先端学際領域研究センタ−客員研究員
(株)筑波リエゾン研究顧問(前・代表取締役社長)
物理工学
菅野 晴夫 (財)癌研究会癌研究所名誉所長
病理学
森脇 和郎 理化学研究所筑波研究所バイオリソースセンター所長、
国立遺伝学研究所名誉教授
遺伝学
室伏  旭 秋田県立大学生物資源科学部長
東京大学名誉教授
農芸化学
行武  毅 東京大学名誉教授 地球物理学
(特別出席者)
宅間  克 (株)企業美学センター代表取締役社長
東京大学人工物工学研究センター協力研究員
言語論理学

(調査研究協力者)

林  和弘 (社)日本化学会・学術情報部 有機化学

(財団側)

宅間  宏 理事長
電気通信大学名誉教授
応用物理学
飯田 益雄 常務理事
水野 全二 常務理事・事務局長
◎ :研究会座長 
(平成14年3月1日現在)
[敬称略]